ご覧いただきありがとうございます。
チーフパティシエ の芳賀です。
今回は、私が始めたい事業の対象がなぜ「シングルマザー」なのか、そのきっかけについてお話したいと思います。
長くなりそうですが、お付き合いいただけたら嬉しいです。
皆様は今までの自分の経験を言語化したことありますか?
私は、前回の投稿で生まれて初めて、今までの経験を言語化しました。
読みづらい文章ですが、等身大の自分を書き表せたと思います。
まだご覧になっていない方は、ぜひご覧頂きたいです。
言語化する前に、この話をした人がいます。
その人は同じシェアハウスに住む友人で、2~3時間かけて私の生い立ちを聞いてくれました。
語彙力が低く、全然思うように言葉にできなかったのに、
その人は真剣に、私が私の過去と向き合うきっかけを作ってくれました。
話をする中で、最も心が痛くなったのは、”いじめ”のことではなく
”毎日いっぱいいっぱいの母の姿”でした。
母は本当によく働いていました。
仕事から帰ってきた母は、毎朝私と姉を起こし、私たちの姿が見えなくなるまで見送ってくれました。その後、仮眠をして、掃除,洗濯,料理をこなし、夕方に夜勤の仕事に向かいます。
このような生活を、私が高校を卒業するまで続けていました。
自分の時間がなく、心に余裕がない母の前で、私たち姉妹はたくさんの喧嘩をしました。その時の私には、母が私たちを止めるために、怒鳴って泣く意味が全くわかりませんでした。
「どうしてこんなに怒って、いつも泣いているんだろう。」
私は、ただただぼんやりと母を見つめることしかできませんでした。
しかし、今の私だったら、あの時の母に寄り添って、抱きしめてあげたい
そう思います。
あの頃の母は、本当に孤独でした。
叔母や祖母は私たちには優しかったけれど、毎月家賃が足りず、お金を借りる母のことを、よく思っていませんでした。母への目つきがだんだんきつくなっていくのを、私は子供ながらに感じ取っていました。
それでも、毎月の家賃12万円と光熱費と私たちの学校のお金などは支払わなくてはなりません。母は、どんどん働く時間を増やしました。それによって、母の睡眠時間は減り、体力が無くなっていくように見えました。
その影響が、母の体に出始めたのは、私が高校2年生の頃です。
母は、脚が痛くて眠れないと言いました。
脚を見てみると、片方の膝に水が溜まっていて、正常な脚と比べると倍近くに腫れあがっていました。熱をもって赤くなり、見るからに痛々しかったのを今でも覚えています。
すぐに病院に行き、水を抜く処置をしてもらったため、母の脚は徐々にもとに戻っていきました。
後日、病院の先生に勧められて、母は精密検査を受けることに。
検査なんて、私たちが生まれてから1回も受けたことがなかったため、
母も姉も私も結果が出るのが怖くてたまりませんでした。
2週間後、先生が母に告げた結果は、「関節リウマチ」という聞きなれない病名でした。
これは、本来、外敵から自分を守るために働く免疫が自分自身を攻撃してしまうことで、関節が炎症を起こし、軟骨や骨が破壊され、関節が変形してしまう病気です。新しい治療法が見つかってきていますが、いまだ完全に治る治療法は存在しません。
また、この病気の要因はまだ明らかになっていませんが、喫煙や疲労・ストレス、出産をきっかけに発症することがあるそうです。
もちろん、母の病気の要因がストレスであるとは言い切れませんが、
苦しい痛みで、起き上がることや、歩くことができない母を見ると、
「あの時、母を怒らせるようなことをしていなければ。」
「あの時、もっと優しく母に寄り添っていれば。」
と考えてしまいます。
「あの時、一人で辛い顔をしていた母に優しい言葉をかけたい。」
この思いが、私が事業を始めたいと思ったきっかけです。
1人ですべてを抱え込む過去の母のようなシングルマザーを支えていきたい。本気でそう思っています。
長年解消されていない、母子家庭の問題は、想像よりも大きいかもしれません。しかし時間がかかってでも、「シングルマザーが1人ではない社会」を実現していきます。
今回も長い文章になってしまいました。
お付き合いいただいた方、最後まで読んでくださりありがとうございます。
次に私が考えている事業についてご紹介いたします。